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日本川紀行

日本川紀行(土石流危険渓流遡上行)

毛保川・丸石川(大野町、1997年8月23日)

 佐伯郡大野町内に源を発し瀬戸内海に注ぐこの隣接の2渓流は、両川共に先述の枕崎と1951年のルース台風で甚大な被害を被っている。

 毛保川は、山地部から平地部への出口に妹背の滝と大頭神社が在り、地元では古〈からの景勝かつ神聖な地である。地域計画と水工で滝周辺の整備計画を立案すると共に、水工で砂防全体計画を立案し、中流部に大型砂防ダム1基が完成しもう1基が計画進行中である。

写真:枕崎台風ではあの辺がやられた(毛保川)

 この両川の枕崎台風時の被害状況は大野町中央公民館に写真他が保存されており、これらと「空白の天気図」の記述、計画・設計遂行時の現地踏査を元に、調査を兼ねた遡上を行った。

 夏真っ盛り、土石流渓流調査、ということで、メンバーは水工部中心としたが、山口支社から管、都市から児玉の参加があり総勢10名での遡上となった。遡上は、毛保川は中流部のCEC計画・設計の新設砂防ダム見学で折り返し、妹背の滝で昼食とし、山陽自動車道沿いを西へ丸石川へと向かった。

写真:藪をかき分け、丸石川調査を終えて

 丸石川は、河口部が対岸に宮島を望む宮浜温泉として開発されているが、こここそが枕崎台風時に、150人を越える土石流による犠牲者を出した旧陸軍病院の跡地である。国道2号線から気をつけて見ると源流部の大型砂防ダムが見えるが、いつもの事ながら、「こんな小渓流でそんな大災害が」、と思わせる小川である。

 遡上は瀬戸内特有の小雑木と大型シダの薮をかき分けるかなり厳しいものとなったが、真夏の太陽の下で汗みどろで無事完了し、枕崎台風時に旧陸軍病院で原爆被災者の治療と研究中に土石流に襲われ殉職された、京都大学の先生方の慰霊碑に参り、宮浜温泉で汗を流し宮島口で美味いビールを飲み帰途に着いた。

(文中敬称略、続く
(組織名称、所属部署は当時のもの)