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日本川紀行

序章 今何故太田川遡上行か

 中電技術コンサルタント(CEC)は、’95年7月15日に創立30周年を迎え「30年史」も近々刊行予定である。

 こうした時に水工部有志で、かねて「何か記念に残る事が出来ないか」、と考えをめぐらせていた。単なる記念ではなく、CECの歴史を偲び、若い技術者の未来に繋がる企画はないかと、一杯飲み屋で盃を傾ける中で思い付いたのが、昨年7月より水工部有志を中心に開始した「太田川遡上行」である。

 ’96年1月現在、雪に閉ざされて源流未達であるが(あと1日必要)、技術論稿として紙数を戴き遡上の模様をシリーズで報告したい。

今何故太田川遡上行か

 西中国山地吉和冠山に源を発し、広島県西部を貫流して広島市で瀬戸内海に注ぐ一級河川太田川は、我が街広島の地を造り、生活に産業に生命の水を恵み続ける母なる川である。

流路延長103km、流域面積1,700㎢、基本高水流量12,000㎥/S(玖村地点)と、全国の一級河川の中では中規模ではあるが、古くは山海の産物の運搬や鮎やサツキマスを代表とする漁労の場として、近代では一大電源地帯として開発が進むと共に県西部の生活・産業用水源となる等、地域に密着した川である。近年は、河口(下流)域を中心に先駆的な河川環境整備がなされ、市民生活に多くの憩いの場が創出されてもいる。

 一方で太田川は、CECの発足母体である中国電力もしくはその前身の諸団体により、比較的早くから水力発電の開発がなされ、当社でそうした分野の業務を担当する水工部にとってはとりわけ縁の深い川である。諸先輩が汗水垂らし、あるいは我々自身が苦心して造りあげた作品が、河川構造物や発電施設のみならず、沿川に数多く散在している。

 建設事業遂行における分業が進み、我々の主な役割が計画・設計であり、我々に物造りの感動が乏しくなっているのが実情である。それ故、 故郷を災害から守り、産業を育て生活を地域を国を豊かにする役割の重要な一端を我々は担っている、という感慨が生まれにくい。手際良く目前の業務を処理する事だけが、我々建設技術者の役割ではないはずであり、ましてやそれを志した動機でもないはずである。今の我々に欠けるのが、自分が検討した成果が、どの様に形となりどの様に喜ばれあるいは害をしているか、が判りにくい事にあると思われる。

 そうした時太田川は、CECの河川技術者にとって格好の教材であり、河口から源流までを河川沿いに歩いて遡り、随所に存在するCECの作品や河川の諸相を題材に、ベテランと若年の技術者で現地でのディスカッションを重ねる事を企てたのである。

(文中敬称略、続く