MENU

日本川紀行

日本川紀行(土石流危険渓流遡上行)

太田川源流中津谷川(1997年10月25日)

 96年4月、我々が到着し我々の源流碑を建てた太田川源流は、河川管理上及び近年“源流の会”が碑を建てたことで太田川源流とされているが、TVによ〈出る昔ながらの源流らしい源流は、実は中津谷川の源流である。

 ここは我々の源流碑から尾根1つ越えた至近の位置にあり、場所は’97年4月に前田と企画の小西及び水工の信井で確認した。唯、中津谷川を遡上してそこに至る道は不明で、9月末に、地質部から熊避けの大型Cow‐Bellを借り、これを鳴らしながら前田が一人事前調査に入った。

写真:太田川(中津谷川=小川)源流

 吉和村から島根県匹見町に抜ける国道488号沿いに流れる中津谷川(地元では通称小川)は、大部分が全くの自然河川で天然記念物“ゴギ”の豊庫でもある。土木構造物等に見るべき物は無いが、人里を離れるにつれ禁漁期に入ったゴギが悠然と泳ぐのが数多く見られ、久々に参加の山本(厳)の詳しい解説にその都度皆が耳を傾けた。これまた久々参加の地元出身の営業部の山崎親子等を含めた一行15人は、熊との遭遇に脅えながらも全員元気で源流到達を果し、尾根を越えて、1年半前に建てた我々の記念碑を確認し、晩秋の、落葉で裸になったブナ林の中を、満ち足りた気分で家路についた。

 

 「その後の遡上行」は、当初計画の南原川を残したが一応無事終了した。全回通しての参加は、前田・白石の2人、次いで喘息が持病の門脇女史と、林・信井が仕事で1回のみ欠と、老兵の熱心な取り組みが目立ったが、春になれはまた新しいメンバーも加え、新しい企てを始めたい。

 技術は所詮時代と社会の産物であり、折々の社会が何を求めていたかいるのかとの知識や地域風土の理解、諸先達の作品や残すべき自然への感動といったことが、必ずや技術者の成長に大きな力となると思う。

 また、我々の仕事には、銭儲けだけでない喜びがある筈である。それを感じられる技術者を目指し、若手がそう感じられる技術者になり得る手助けをしながら、可能な限り今後もこうした企てを試みたいと思っている。

(文中敬称略)
(組織名称、所属部署は当時のもの)