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日本川紀行

日本川紀行(小瀬川遡上行)

 我々の母なる太田川は先に踏破した。次の目標となると、やはり近辺の小瀬川・八幡川が先ず浮かんだ。これに清流で名高い太田川支川の水内川、水工部らしく土石流研究を兼ねて呉市及び大野町方面の土石流危険渓流、ついでに前回とは違ったTVによくでる太田川源流、我々や諸先輩に縁の深い太田川2次支川の南原川も、と話は広がり「とにかく始めてみよう」と、その後の遡上行を開始した。
  今回は、前回の太田川のような計画性に乏しく、加えて、開始が業務多忙の年度末に近い’96年12月となり、「本当に出来るの?」との声もあったが、「デスクワークが多忙な時にこそフィールドワークは薬になる」、との妙な理屈で計画はスタートした。

小瀬川遡上(1996年12月~1997年2月)

 小瀬川は、西中国山地西端近くの冠山に、太田川と泣き分れの形で源を発し、広島・山口県境沿いに南下し、大竹市で瀬戸内海に注ぐ比較的小規模な(CA=342㎢)一級河川である。

 この水系には、中国電力のダムが渡の瀬及び飯の山、公営の多目的ダムが弥栄及び小瀬川とある。水力発電所も、中国電力のものが3(弥栄、玖波、栗栖川)と、中国地方に多い組合立のものが3(四和、岩倉、所山)、山口県と建設省のものが各々1地点ある。また、河川沿いを走る広島県管理の国道186号には、道路・橋梁部が数多くの作品を残してもいる。

河口から弥栄ダムヘ(第1回、1996年12月14日)

写真:小瀬川遡上行出発…JR大竹駅…

 太田川に続く遡上行の企ては、小瀬川河口からスタートした。水工部を中心としたメンバーに、かつて弥栄ダムや同発電所の計画・設計・建設で活躍した、ダムの河野・開発設計の菊原・1本の山本(厳)、道路を担当する日下、機械の池田、池田の紹介で川は川でも流川で女一匹店を張り「野鳥の会」や「源流の会」で活躍の門脇女史、技術開発の入江、環境の山原、地域計画の森島・尾田、総務の河野、営業の山崎、山口支社の菅、広島県から前田の大学時代の登山仲間でもある廣隅係長といった、多士済々の24名でJR大竹駅に集合し遡上を開始した。

写真:弥栄ダムでのダム・発電所あれこれ

 この日は、小瀬川河口部でかつて検討された河口堰の話を最初に、近年改築された建設省中市堰、折からの渇水期で随所に展開中の河川工事、木野の流しビナのいわれ、国道186号油見トンネルや玖波(発)防鹿放流ロ等々について、べテランや各々の設計担当技術者(講師)の話を聞きながら一路弥栄ダムを目指した。

 弥栄ダム地点では、ダム業務で駐在した河野(護)・吉川・菊原や、発電所工事所長だった山本等から、ダム及び発電所の計画・建設に伴う苦労や留意点を聞き、ダムからは通常通らない右岸湖岸林道を歩き、今回の目的地の弥栄大橋を目指した。湖岸林道は長く歩きにくかったが、途中の橋梁の1つが地山の滑動により橋台が動き全体が破損し通行止で、どこかのコンサルタントが調査中であったのが勉強になった。

弥栄大橋から岩倉へ(第2回、1997年1月25日)

 斜張橋の美しい姿を湖面に映す弥栄大橋を今回の出発点に、新たに、企画の小西や女性メンバーとして水工の樋口・久保、技術開発の森上が加わり総勢22人のスタートとなった。(いつものことながら、仕事の都合や私事で参加困難な者も居り、メンバーは常に変動する)  3回で小瀬川59kmを歩くことにしたため、今回は約25kmの行程を最後は戦争難民の如くトボトボ歩きの状態となったが、主な様子は以下のようであった。  弥栄大橋からは小瀬川左岸の国道186号を進み、直に中国電力の旧小瀬川第1(発)の取水堰を利用した、建設省弥栄ダム管理用発電所に着いた。1992年に亡くなった大平氏を中心に、今回参加の数名が計画・設計に苦労した作品であるが、ここで痩せた老犬に会いその後の20数kmをこの犬のお伴で歩く事となった。

写真:小瀬川ダム(発)では勉強させられたなあ

 大支川玖島川の合流点にある蛇喰岩のおう穴群を見学し、小瀬川ダムで直下に近年設置された山口県営の小水力(発)設計時の教訓を川本(満)に教わり、広島の茶道「上田流」の祖宋箇が隠棲し茶を立てた銘水“岩舟の水”に歴史を学び、中国電力の渡の瀬ダムヘの転流堰では発電取水と河川環境の両立の難しさを考えさせられながら、今回の行程を終えた。

 研修めいた数々の話を聞きながらの、今回行程の25kmはさすがに長く最後は全員口数も少なくなったが、痩せた老犬は最後まで随行し、完了後の軽い一杯は寒い中を歩き疲れた分よけいに美味い気がした。

岩倉から飯の山ダム(第3回、1997年2月22日)

 小瀬川の源流は冠山だが、支川を辿れば羅漢山あるいは大峰山ともなる。今回は、源流部として中国電力の飯の山ダムを勝手に定め、時間の都合でマイクロバスをレンタルし、25年振りの運転という営業(現山口支社)の田邊に送ってもらい、新たに、環境の水津・若尾、技術開発の山崎、ダムの岡田、測量部中重(元中国電力広島支店土木担当課長)の参加があり、総勢26人の大部隊でのスタートとなった。

写真:若手で編成した長靴先発隊

 このルートは前田の故郷コースであり、生家直下の測量部長谷川が中電産業時代の若かりし頃に設計・監理した農協小水力(発)や、中国電力栗栖川(発)、そのそばのCECが計画・設計した道路トンネル等を見学・研修しながら、雪の中を一路栗栖川(発)の調整池である飯の山ダムを目指した。このダムは、中国電力では珍しいアース式の古いダムで、維持管理に関し業務を担当したことのある岡田から、一面氷の張ったダム湖を背景に詳しい説明があった。

 飯の山ダム付近は名だたる豪雪地帯であり、残雪が深い所では50cm近く、ダム直前では事前に準備した長靴隊を先発させたりもしたが、ルート途中のお地蔵様と結婚式の地元の慣習の前田の話に若い森島がいたく感心するなど、寒い中ではあったが楽しく小瀬川の遡上を終えた。

(文中敬称略、次章八幡川遡上行へ
(組織名称、所属部署は当時のもの)