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日本川紀行

第8回 源流へ

 昨年12月、雪中の第7回遡上により皆で’95年中の遡上行完遂の断念を納得し、雪解けの春4月、第2土曜日(13日)に源流挑戦を図ったが、昨冬は雪が多く4月を迎えてもなお源流域は残雪に覆われ、新雪さえ降る状況であった。  このため、当面、第2土曜日の遡上は延期して、ゴールデンウィークの初日である第4土曜日(27日)を予定日とし、事前に源流標識の確認と残雪の状況調査を実施する事とした。

源流再調査(4月20日)

 建設省太田川工事(事)の手になる、“好きです太田川”~源流編~に、源流標識の写真と源流付近の渓流の状況が示されてはいるが、いかんせん我々のメンバーにそこを訪れた者は無〈、そこに至る道の無い事は判っている。従って、昨年11月4日に休日を利用して一人で源流を訪ね遡上したが、用意不充分な上、登り口で 「近年この時期は熊の出没が多い」と地元の人に忠告され、源流標識未確認のまま退散した。しかしながら、あまり足に自信のない多人数を連れ、道なき道を行くのに源流標識の事前確認は必須であり、手元資料と縮尺:1/25、000地形図により源流標識位置をしっかり把握し、第3土曜日(20日)、地図とコンパス(磁石)を頼りに再度一人目的地を目指した。

 この日の源流付近は、大部分が30cmを超える雪に覆われていたが、雪は締まっており時折足をとられながらも、無事前回調査時の到達地点の隣の沢で源流標識を発見した。また、雪解けによる渓流の増水状況も、”当日が雨天でなければ次週の遡上が可能”と判断し、27日の実施を決定した。

 この時の雪原に建つ源流碑は神々しく、時の経つのを忘れさせたが、次週の遡上行完遂に胸を踊らせながら、急ぎ来た道を戻った。

源流へ!(第8回、4月27日)

 前週の調査後、気候は急に春めき源流付近の残雪もかなり溶けたと推測されたが、逆に、残 っている雪は、締まった状態から軟らかい水ぼて状態が予測されたため、今回は現地集合を9時30分と早め、午前中(雪の溶け出す前)の源流到達を目指す事とした。

写真:龍頭滝直下での昼食

 この日は先述のとおりゴールデンウィークの初日であるし、農家出身者が多い水工部員にとっては実家の農繁期の始まりの日でもあり、常連メンバーの一部が欠ける事となったが、新たに、中国地下工業(株)の小滝、企画部の小西、土木第1本部の山本(厳)の大べテランに加え、水工部の新メンバー竹本、ふるさと選手の営業部山崎の息子の参加があり、最後に最大の23名でのスタートとなった。

 前回の雪中の挑戦で報告のとおり、国道186号沿いの太田川起点標識から約500mの区間は渓流沿いに立派な林道があるが、その終点からは細い山道となり100m程度を行った所の木橋からはこの山道からも外れ、いよいよ太田川源流に向け渓流を遡上する事となった。 

(1)道なき道を遡る

 この時期の源流に続く渓流は、昨秋の調査及び第7回(12月16日)の雪中の遡上-いわゆる渇水期-に比べ、雪解け水で増水し歩きにくい。水は冷たく、注意深く足元を確認しながら、遡上10分で前回断念地点を無事通過。この頃は未だ全員快調で「この淵には(山女が)おるで」、との小滝と山本(厳)の話を聞いたりしながらの遡上となり軽口がはずんだ。渓床勾配も比較的緩い。

写真:最後の遡上行出発(太田川起点標識付近)

 勾配が急になりかけた、出発後1時間程経った頃、小滝が足に不調を訴え源流までの遡上は困難と自己判断し、一人リタイアして予め調査済の近くの林道を戻り、我々の帰りを麓の出発点で待つ事となった。CEC30年の歴史の内、至近の23年間を中心的に担い、社報を通してこの企画を知り、意気に感じて今回、最初で最後の参加であった小滝も年齢には勝てず、無念のリタイアであった。事情が許せは再度同行し、共に源流を極める事でその意気とCECへの思いに応えたい。

 残りメンバーは引き続き遡上を続けたが、源流に至る渓流には2か所の滝があり、始めの、地元で龍頭滝と呼ばれている滝の直下で昼食とし、その登り方を検討する事とした。

 

 高さ25mに及ぶ滝を登るのは、登山家集団でもなければ備えもない我々には到底困難であるが、滝左岸側の急勾配斜面に人の踏み跡らしきものがあるのに着目し、何とか皆で登れると判断した。念のため事前に長さ40mの登山用ザイルは持参したが、ここではこれを使用せず、昼食を済ませた勢いで全員無事登り切った。

 「源流には我々の記念碑を建てよう!」と遡上行実施中に話が盛り上り、今回遡上の前夜、信井と久保の手で記念碑の碑文が書き込まれたが、遡るにつれてその重さが運搬担当の若者達の負担になってきた。碑は、10cmx10cm角の長さ1.5mで、妻君の実家が木工所を営む技術開発部の入江の寄贈によるものだが、良質材でこれが意外に重く、運搬役の若者連には辛い行軍となった。これを見て、今4月山口支社に異動したが最終回の呼びかけに応じ今回も参加した江河内谷のふるさと選手の児玉、水工部の林等のベテラン技術者が交代を買って出たが、幼なかりし頃から農作業で鍛えた両名の角材を担ぐ姿は、なまってはいてもさすがサマになった。

 我々の日々においても、技術の継承も、老・壮・青の連携もこのようでありたい。

 昼食後に登った龍頭滝は、いわゆる魚切の滝でこれより上部に魚はいないものと思っていたが、渓流沿いの木樹に小札が下がり、注意して見ると「手の平より小さなゴギは放してやって!」と書かれている。そうか、こんな奥地にも魚がいるのか、滝沿いの踏み跡は釣り人の足跡か、と知らされ、最近の渓流釣りブームの盛り上りを感じさせられた。

写真:道なき道を遡る

 龍頭滝を越えると渓床勾配は緩やかになり、しばらく行くと、かつて(S47年のいわゆる47洪水以前)吉和村で盛んであった、渓流を利用したワサビ田跡があり、そこから更に急斜面を登ると帰路に予定の林道の終点に出た。ここで大休憩とし、各人が自分の体調と体力の残存度合を相談して、最後の源流挑戦を試みる事とした。

(2)着いたぞここが源流だ

 大休憩した林道終点から源流標識までは、事前調査の単独行では所要時間約20分であった。帰りの事を考えて林道終点で3名が体力温存を図る事となり、19名で第2の無名の滝に取りついた。昨秋調査の折はこの滝は枯滝で比較的楽に登れたが、雪解けの今回は冷たい水が流れ、これを避けての多人数の遡上には時間と慎重さを要した。しかしながら、ここでも用意のザイルは結局使用せず何とか無事通過出来、参加メンバーの日々の行ないと遡上行出発時の原爆慰雲碑への安全祈念のおかげと感謝した。

 この滝の頭から上は、渓床勾配は緩く流れは 一段と細く前週調査時は雪に覆われていたが、この1週間で残雪がまばらに白い状況に変わっていた。ここまで来ると、もはや釣り人も入らず(魚が居ない)、登山者と我々のような好き者の類いの人種の世界であるが、倒木も多く歩きにくい。しかしながら、もう先はしれており、雪解け水が雪田に消える辺りで記念碑を建てるための補強セメント用の水を汲み、一部雪田を踏んでひたすら源流碑を目指した。

 歩く事30分、先頭から「あったぞ源流碑が!着いたぞ源流へ!」との声が上り、この声に一段と元気づいた一行が次々と到着し、各々が「やったぞ」「やったぞ」と手を取り合い喜ぶ様を見て、多忙な中でこうした計画を企て実行して、本当に良かった報われた、と思わされた。  源流では、持参の鍬により交代で穴を掘り、源流直下で汲んだ水で練ったセメントを一部混ぜ、前夜用意し皆で持ち上げた我々の記念碑を、太田川源流碑の西側へ10mばかり離れた杉の大木の近くに建て込んだ。

写真:太田川遡上行完遂記念碑の建て込み

写真:ついにやったぞ、また来る日まで

 太田川源流碑は、1990年に、“源流を訪ねる会”により建てられた高さ2mに及ぶ大きなもので、何故か南北両面に観音像が安置されていた。

 我々の記念碑は、年度末の残務に追われる面々が喘ぎながら持ち上げた小さな柱であるが、そこに込めた思いには負けないものがある。

 記念碑には3面を使い次の様に刻んだ。

夢遥かに、太田川遡上行完遂(平成八年四月)、勝手にCEC三十周年記念事業遂行有志。

 建て込みを終えた我々の記念碑には、麓で待つ小滝の寄贈による、太田川の水で造られた可部の酒“菱正宗”が御神酒として頂部から注がれ、残りを全員(中学3年生の山崎の息子を除き)で分けてわずかずつ口にして源流到達を祝った。

 昨年7月8日に平和公園を出発し、計画の変更を繰り返しながら8回に分けて遂に太田川源流を極め、真夏の暑さの中を、秋の紅葉の下を、冬の雪の中を、春の浅雪を踏んで、足かけ10か月でようやく源流に仙り着いた。今時の若い人達から見れは、暇なのかそれとも好き者なのか、全区間を歩いたのは前田・白石・信井・岡崎・山田・久保の6人であった。

 この6人で記念碑をはさんで写真を撮り、続いて各人各様のポーズとグループで写真に収まり源流を後にした。

写真:平和公園から源流まで歩きました

 帰り途は、遡ってきた小渓流と滝を居残りの3人が待つ林道終点まで降り、ここから1時間をかけて林道を小滝の待つ出発点に帰り、出発時予め渓流に冷やしておいた缶ビールとジュースにより全員で遡上行無事完遂の祝杯とした。

 今回は、標高差530m(出発点≒700、源流≒1、230)、水平距離≒6kmの往復であったが、出発点近くでは未だ赤茶色のマムシの子が既に見られこの付近にも春の訪れを告げており、渓流が一般にマムシの巣である事を考えれば、結果的にはタイムリーな遡上であった。

(文中敬称略、続く
(組織名称、所属部署は当時のもの)