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日本川紀行

第4回 加計から戸河内へ

加計から戸河内へ(第4回、10月7日)

 計画の第2土曜日に社内ソフトボール大会が組み込まれ、遡上行は1週間繰り上げて第1土曜日とした。

 我々の遡上行は、交通手段を原則として公共機関利用としており、回毎の始終点はJR可部(加計)線の駅となるが、今回はJRの時刻から加計駅集合を10:30として実施した。

 今回は、加計駅集合までにちょっとしたハプニングがあった。JRのこの線は総て可部駅で乗り換えであるが、可部に至る前の古市橋駅手前で、信号機故障の為列車が停止してしまった。例によって可部駅でギリギリの乗り継ぎを計画していた、前田・林・河野の西から来る横着な面々は、加計に至るJRに乗る事が不可能となり古市橋からタクシーでの加計行となった。「もう一便早く、ゆとりある乗り継ぎをしていたら」といつもながらの反省をさせられた。

 但、停車した列車に仲間は居ないかと捜していると、臨海計画部の福原が居た。「一人寂しく何処へ行くのか?」と尋ねると「太田川です」と言う。「太田川の何処か?」と訊けは「遡上行ですよ、遡上行!」と言う。「何だ、我々の新しい仲間ではないか」と喜び、四人で一路加計駅を目指した。

 今回新たにこの福原と環境調査室の山原、“ふるさと選手”としてダム部の児玉が参加し、総勢20人で元気よく加計駅を出発した。  今回コースにも、土居及び柴木川第二の両発電所、発電取水に伴う堰並びに魚道、CECの手になる橋や学校が散在し、水工部が現在計画・設計中の取水設備や親水護岸等々と合わせ、各々現地でベテラン技術者の話を聞いた。

 今回の主な見学、研修の状況は次のとおりであった。

加計災害江河内谷川復旧現場

写真:江河内谷川土石流災害(1988年7月21日)

 今回コースの途中、加計町と戸河内町の町境近くに、小支川江河内谷川がある。

 1988年7月20日夕から21日未明にかけて広島県西北部を襲った集中豪雨により、山県郡の各町村は甚大な被害をこうむったが、特に加計地区は、寛政8年以来190年ぶりという土石流を中心とした大災害となった。中でも特別大規模な土石流が発生したのがこの江河内谷川であり、流域の江河内地区では、狭い地域で9人が死亡9戸が全壊している。

 この数は、一見大した量でないように思えるが、過疎の進んだ地域で川沿いの家は総て壊れ人も総て亡くなったものであり、こうした土石流が、地形・地質条件が酷似し民家・住民の密集する広島市近郊や呉市、廿日市市から大竹市にかけての地域に発生した場合を想像すると、背筋を冷たいものが走る規模である。

写真:復旧なった江河内谷川

 この地区の災害復旧調査・測量・設計はCECが指名され、23日には早くも現地踏査に入ったが、江河内地区は未だ危険なため立入り禁止であり、加計病院付近では土砂に埋まった行方不明者の捜索が行われていた。  社内ではこの業務を4月の本部制発足により誕生した水工部(当時はダム・水工部第2課)が担当したが、旧第1土木部第1課の一部と第2課、旧水文部の第2課を中心とした寄せ集め部隊が当時の水工担当であり、初めての大規模な災害復旧業務に悪戦苦闘し、伝え聞く当社創業時の様な時間外労働を半年近く続ける事となった。

 江河内は今回の“ふるさと選手”ダム部児玉の出身地であり、高台にある彼の実家は当日の避難所ともなったが、現地で児玉から、昔話と被害時状況と復旧について、地元の声を踏まえての詳しい話を聞いた。

 あれからもう8年が経とうとし、CECの手になる砂防ダムや流路工により復旧は完了しているが、この地を訪れ災害慰霊碑に手を合わせる毎に、建設技術者の役割を意識させられ闘志が燃える場所である。

 江河内谷川の太田川合流点付近には、当社創成期の作品である堂見橋、水工部が太田川で初めて最新の本格的魚道設計を行なった西調子堰、建築部の殿賀小学校等々の作品があり、合わせてベテラン技術者から話を聞いた。

吉ヶ瀬(発)正地取水えん堤

 吉ヶ瀬(発)は前回コースの途中にあったが、取水は、戸河内町に入ってすぐの土居(発)および柴木川第二(発)の直下流にあるこの正地取水えん堤で行なっている。

 1963年の豪雪時には、ここから下流に伸びる発電用導水路トンネルにより生活物資搬入や人の往来を行なったと聞いた事があるが、排砂ゲート取り替え他の改造設計および施工監理を、若かりし頃の児玉が担当した施設である。

写真:児玉による発電水力施設改造そもそも(正地)

 直上流の、土居(発)進入路橋梁、柴木川第二(発)部の国道191号曲線部のトンネルによるバイパス化を道路・橋梁部が検討してもおり、近辺に建設技術者としての教材が散在している。

 ここでは、故郷の老朽発電水力施設で自分が担当した改造設計・施工の要点について、児玉から若手技術者に熱のこもった説明があった。

 今回コースでは、水工部の作品である木坂頭首工の魚道も見学した。この魚道は、建設省から、設計をCECが、施工を筒賀の河野組が受注したが、施工中に堰の内部構造が竣工図と大きく異なる事が判明し、共同して設計変更に対処した施設である。こうした縁もあり、今回終点のJR戸河内駅では河野組よりビールの差し入れを戴きノドを潤しながら、次回行程を立岩ダム迄と決め戸河内駅を後にした。

 今回の総距離は、江河内谷川往復を含め16km程度であったが、季節がビールから熱爛の時期になってきているのを感じた。           

(文中敬称略、続く
(組織名称、所属部署は当時のもの)