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日本川紀行

第1回 出発は平和公園から

準備と計画

 全行程=103km十冠山山中の渓流を、あまり足に自信のない多人数が歩こうとすれば、それなりの準備が必須である。従って、建設省太田川工事(事)や中国技術(事)等で資料収集を行ない、休日を利用して、河口部を自転車で、下流 から中・上流を自動車で、源流部を徒歩で、計4日かけて事前調査し、基本計画を次のとおりとして遡上を開始した。

①この企画の狙いを次の2点に置く。

 ・生きた河川を知りそのあるべき姿を考え、自ら成長する技術者となる

 ・諸先輩及び自分達の成果を観て、触れて、現地で話を聞いて、今後の技術者としてのあり方を考える

②20km/日の徒歩を目途に、全行程100km強を5~6回で毎月1回第2土曜日に遡上。

③細部行程は、その都度実施3日前迄に定める。

④遡上は太田川沿いの道路を利用するが、見る価値の高い施設がある側、CECの成果品のある側、通常自動車で通らない側を優先する。

⑤川の自然の状況を知る事が大事な目的のひとつであり、原則として雨天決行とする。

出発は平和公園から(第1回、7月8日)

 昔から広島には七つの川があると言われ広島音頭にも唱われているが、昭和に入り軍都広島を守るため、西部の福島川と山手川を合わせて太田川放水路が計画された。

 工事は、1934年に着工し戦時中の中断から1951年の再開を経て1967年に概成し、現在では六つの川となり法的には太田川放水路が太田川である。(西から、太田川放水路・天満川・本川・元安川・京橋川・猿猴川。前4川が国管理、後の2川が県管理)我々の太田川遡上は、昔ながらの太田川を歩く事とし、旧太田川(本川)を出発点とした。

 広島の街は、太田川三角州に生まれ、近年の宅地造成を除けば、海を埋めて市域を拡大成長した歴史がある。従って旧太田川も、平和公園辺りから下流は河川環境整備の一貫として河川敷の一部を埋めて公園様の整備が最近進みつつあるが、基本的には海に向かって伸びた水路であり、河川としての見るべき所は少ない。

 このため出発点は集合も容易な平和公園とし、全員で遡上行の安全と完遂を原爆慰霊碑に祈念し、第1回遡上を開始した。

写真:太田川遡上行出発

 当日は、前日の第13回技術発表会の疲れの残る者もいたが、水工部から白石・信井・竹田・吉川のベテラン技術者と岡崎・江上・山田の若手、倉本・速水の新入職員と久保嬢及び竹田の息子、技術開発部から前田・入江、都市施設部から平尾、道路・橋梁部から来須が加わり、午前9時総勢15人でスタートした。

 第1回遡上の主な見学・研修の場所及び施設と状況は次のとおりであり、試みは快調なスタートを切った。

(1)平和公園~中央公園付近の環境整備

 平和公園付近は切り石の護岸で整備され、世界のヒロシマの顔として、元安橋や相生橋もいわゆる景観に配慮した計画・設計がなされている。中央公園付近は、かつては原爆被災者の住宅が並び、映画「仁義なき戦い」の中で北大路欣也扮するチンピラヤクザが、恐怖に震えて音の出ない口笛を吹くロケが行なわれた所だが、今日では、自然石と芝の緩勾配護岸及び桜土手として整備され市民の憩いの場となっている。

 CECは計画・設計に直接関与していないが、早い時期の都市部河川整備の好ましい例として、河川部門では名の知れた場所である。

(2)広島城お堀浄化取水設備

 広島城の堀の浄化のため、天満川分流点直上流から太田川の水をトンネルで導水している取水施設であり、排水は中央公園内に水路を新設して川とし、空鞘橋の下で放流されている。取水地点は感潮区間であり、堀の鯉の生息のための太田川表流水取水用のポンプ設備等をCECで提案し採用されたが、設計は他社が受注した苦い思い出のある施設である。

(3)太田川救急排水機場(矢口地点)

写真:吉川による救急排水そもそも

(太田川救急排水機場:矢口地点)

 この施設は、河川計画部が内水解析を、水工部が施設計画・設計を行い、中国地方で初めて設置された施設であり、その後の中国地方の「市場で優位性を確保する事となった施設の記念すべき第1号である。(1989年度竣工)

 ここでは、設計担当の吉川より、計画・設計・管理について詳しい説明を聞いた。

(4)高瀬堰

 固定堰であったかんがい用の旧高瀬堰を、洪水疎通能力の向上と、上水道及び工業用水の取水と江の川(土帥ダム)からの分水による中国電力可部発電所の逆調整池、等を目的として可動堰とした多目的河口堰である。昭和40年代末の工事中には、現水工部の小笠原・川本らが現場駐在して工事監理にあたり、完成後もCECが、湛水に伴う諸調査及び解析、魚道からのサツキマス等遡上調査など深く関与している。

(5)太田川発電所

 太田川最下流に位置し、太田川再開発末期の1962年に発電開始した、比較的大流量(50㎥/S)で低落差の流れ込み式発電所である。余水路安全対策実施のさきがけとなった発電所でもあり、昭和50年代後半、CECが水理模型実験を行い放水路内に穴空き衝撃板による減勢工を設置したが、河川敷内の工事で施工中の地下水対策に苦労した思い出がある。

 前日まで晴天が少なく今年は冷夏かと思わせたが、日々の行ないが悪いのかこの日から夏空となり、最高気温32.2℃と気温が上り歩行速度も落ちた。このため、今井田までの当初計画を河戸で止め、河戸にある庄野元常務の墓参を行い「こんな事して若い者を鍛えてます」と報告して第1回遡上を終えた。

 遡上距離16kmに5時間を要し、意外と時間がかかる事が判った。

(文中敬称略、続く
(組織名称、所属部署は当時のもの)